こんにちはニックです。
以前、「博士号取得への道(概要版)」という記事を書いたのですが、思っていたより大勢の方が興味をもって読んで下さいました。
そこで、記憶が風化しないうちに、自分の博士取得の経験について少し深堀した記事にして残してみることにしました。現在、不定期連載として記事を作成しています。
本日の記事では、博士号取得において、私が博士号取得した際に最大の壁になった「新規性」「独創性」について紹介します。
(1)博士論文の審査項目
「博士号取得への道(概要版)」の中でも触れていますが、博士論文の審査は、「新規性」、「独創性」、「有益性」の3要素に重点をおいて審査されます。(ほかにも色々あるんだと思いますが、基本はこの3つを重点的に審査すると言われました。)
これらについては、いずれも重要な要素で、どれか一つでも欠けた場合は、不合格となります。
私の場合は、審査の過程で「新規性」「独創性」についてかなり厳しい態度で指摘を受けました。
(2)新規性・独創性
博士論文では、論文の内容に新規性・独創性が求められます。
要するに他人の研究のパクリではだめなわけです。
例えば、「実運用未了の新工法を現場に適用した結果」について博士論文にしようとした場合、「新工法の考え方」が先人のものであれば、NGになりそうです。
※ 現場検証の結果、新しい課題が確認され、課題解決のために新たな試みによる改善がなされた場合などはOKになると思います。
私の博士論文は、ある工種における品質管理の合理化のための新しい管理法を提案し、それを大規模現場に適用した結果について分析を行ったものです。
根幹にあるのは、『新しい品質管理の考え方』の部分になるのですが、その新規性・独創性に『待った』の声が入りました。
『新しい品質管理の考え方』は、私が現場試験の状況を観察しながら思いついたオリジナルの方法ですが、現場の技術委員会で助言・指導を得ながらブラッシュアップしていったものになります。このため、特に学術的な面でのご指導を頂いた先生(A先生とします)の影響を少なからず受けています。
たまたまですが、A先生も別のアプローチから、私の論文と同様の指摘をしている論文があり、また共同研究の課程の中で、私の博士論文の内容に近い内容を投稿されていることをもって『新規性』についての指摘をうけたのでした。
(3)新規性・独創性の担保
新規性・独創性の指摘については、A先生と共同研究で実施していたので、先生が公表した論文と類似する部分があるのは致し方ない部分がありました。
そこで、次のような説明を行い、指摘をした先生からはご理解を頂きました。
- 主たるアイデアは私の発案であること
- A先生とはアプローチの経緯が異なること
- A先生の公表論文(英語論文)に先行して、国内の論文(査読なし)を発表していること
- 3.の論文でA先生とアプローチが異なることが確認できること
- 技術委員会の資料でも同様の発案が確認でき、この時期はさらに遡ること。
当時のことについて、少し思い返すと、1.のアイデアを初めてA先生に説明した時に、目を大きく見開いて驚かれていました。
その後、A先生も別のアプローチから類似の発想を昔からしていたとを告げられ、その場で大きく議論が盛り上がり、「実務適用に向けて取り組んでいきましょう」となりました。この日の議論が博論へのスタートだったと思うと、なんだか懐かしいです。
(4)新規性・独自性の担保について
博士論文で新規性・独自性の担保のために必要なアクションについて補足します。
第1に、『新しいことに取り組む』という姿勢です。博士論文は、どんな些細なことでも良いので、選択したテーマにおける最先端の研究成果を残す必要があるからです。課題に取り組む際に、何かしら改善できるものはないかという視点で取り組むと良いでしょう。
博士論文にすることを想定するのであれば、研究のどこに新規性・独自性があるか?ということについて意識しておくと、後になって困ることは減ると思います。
第2に、成果が未完成の状況であっても途中成果を公表しておくことです。これは、土木学会年次講演会のような査読なしのペーパーでも構いません。前述のとおり、私は現場で博論に挑戦する話など全くない時期に公表した論文、技術委員会資料に救われています。
仮にあなたが世界で初めて気づいたアイデアに取り組んでいたとしても公表が遅れ、他の誰かが類似のアイデアを公表してしまうと、あなたの論文の新規性は担保されません。
博士論文の審査では新規性を厳しく確認されるため、取り掛かりの部分でもとにかく最初に公表しておくことで研究の新規性が担保されます。
途中成果の公表は学会の年次講演会等の査読無しの論文でも問題ありません。 そして、委員会資料、報告書、査読付論文、などの形で、その時点の成果を文書として取り纏めておきましょう。
(おまけ)指摘にあたっての背景
新規性・独創性についてのご指摘をした先生(B先生とします)は、今回の論文について、企業内の別の担当者の成果を流用して博士論文にしようとしているのではないか?との疑念をもたれ、厳しい態度で審査に臨んでいたようでした。
B先生の名誉のために補足しますが、素晴らしい研究成果をお持ちの一流の研究者で、厳しい審査の中でも頭こなしに決めつけるようなことは決してせず、こちらの考えを丁寧に理解しよういう姿勢を崩さない人格も素晴らしい方でした。
国や事業者の場合、今回の私のケースのように大規模プロジェクトにおいて組織として取り組んだ成果によって学位を取得すること自体はよくあります。しかし、現場での立場が高かった人が、自分で手を動かしていないような場合でも、学位を取得しにくるケースがあるようです。(『人のふんどしで相撲をとる』状態といえます。)
直近で何件かそういった案件が続いていたことがB先生は気になっていたようで、今回の研究内容について、本当に私がメインパーソナリティとして頭と手を動かして取り組んでいたものなのか?という点について繰り返し確認をされました。
実際に、副査面談では1000本ノックのように数時間にわたって議論をさせて頂き、これによって私が自分で研究を進めていたと認識していもらえました。その後は、先生が取り組まれている課題についての意見を求められたりと、穏やかな雰囲気での議論に変わりました。
私が全部やっていたことをご理解頂いてからは、『新規性・独創性についても、誤解を受けないように●●の観点での説明を加えた方が良い』といったアドバイスもしてもらいました。
審査される先生方も苦労して学位を取得されているので、『人のふんどしで相撲を取る』ようなケースに対して思うところはあるのだと思います。
自分の経験を踏まえると、そういったケースでの博士号の取得というのは今後さらに難しくなるのかなと思います。(当然ですし、そうあるべきと思います。)。
まとめ
本記事では、「博士論文における新規性・独自性」について綴ってみました。
私が博士論文の審査における指摘の中で、場合によっては「かなり厳しい指摘になり得る」と感じたことだったので、個別記事として整理してみました。
研究は基本的に、過去の課題解決をするために行うものなので、新規性・独自性というのは問題にならない場合も多いかと思いますが、メジャーなテーマであれば、他の研究者の研究との関係も含めて、『どこが自分のオリジナリティなのか』という点は意識しておかないと、指摘を受けてから整理し直すのはかなり大変になります。
本記事が、何かしらの参考になれば幸いです。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
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