社会人として働きながら博士の学位(博士号)の取得に挑戦する人たちのことを「社会人ドクター」と呼びます。
「機会があるならば社会人ドクターに挑戦したい」という人は一握りではありますが、いらっしゃるかと思います。特に身近な上司や同僚に博士号を取得している人が何人もいると、そんな思いを抱くことがあるかと思います。私もそんな技術者の一人でした。
【参考】博士号取得を目指したきっかけ
しかし、いざ、博士号の取得を志した場合にどの様にして、進めていけば良いのか分からないという人や、博士号取得の準備をしているが、正しい行動か自信がないという人もいるのではないでしょうか。
本記事では博士号取得を志した場合の具体のアクションについて、私と私の周囲の博士号取得者の経験を踏まえてお伝えします。人を選びますが『裏ルート』ともいえる方法も記載しておきます。
なお、博士号は「2~3年頑張って取れたらイイな」みたいな軽い気持ちで挑戦する資格ではないことを最初にお伝えしておきます。
特にご家庭をお持ちの人の場合、普段から家庭と仕事の両立はご苦労されている人が多いと思いますが、そこから更に博士号を取るための時間を捻出しなくてはなりません。
通常であれば、大学院の博士課程後期カリキュラムに沿って3年間学問と研究に打ち込んで取得する資格を、働きながら、しかも、家庭をもった状態で挑戦しようとするわけです。
挑戦そのものが、そもそも狂気の沙汰ともいえ、会社と家庭の理解が得られた上で、何かしらの犠牲を払うことになるというのは想像に難くないと思います。(私も最後の半年はキッチリ犠牲を払うことになりました。)
私の感覚ですが、技術士二次試験の勉強の5~10倍くらいの厳しさだと思ってください。
私の知人には、業務多忙の時期があり、休学を組合わせながら4,5年かけて博士号を取得された人や、途中で耐え切れず取得を諦めた人もいます。
更に、お金もかかります。例えば東京大学であれば、博士課程後期の入学金282,000円、授業料520,800円/年×3年=1,562,400円、論文審査料60,000円等、最低限の事務手続き費用だけで200万円弱のお金が掛かります。
そして、博士課程に通えば必ず博士号がもらえるというものではありません。博士論文が通らなければ、博士は名乗れないので、博士課程修了若しくは、満期退学といった学歴のみが残ります。
過酷な部分がある一方で、博士号をもったからといって、収入が上がったり、突然新たな道が開けたりするということもありません。資格という面で見た時に、単純なコスパだけ見ると、『悪い』と感じる人が大多数でしょう。
厳しいことを色々書きましたが、生半可な気持ちで挑戦すると、片足を突っ込んだ瞬間に、仕事や家庭を一部犠牲にせざるを得ない厳しい環境に身を置く可能性があるということ、それなりの支出が必要になること、は知っておいた方が良いので、最初に記載しました。
一方で、アカデミアの道に進むのであれば、博士号は必須に近いでしょうし、海外ではDrの文字の有無で待遇が大きく変わってきます。
そのほかにも、真摯に取り組むことで得られる『何か』は間違いなくあります。
尊敬する偉大な大先輩からは、博士論文を作成する過程で、否応なく磨かれる「一つの事象を深く多面的に観察・洞察する能力」というのは、どの分野においても応用の効く力であり、この能力は色々な場面で役に立ったと言ってました。
(この先輩、某省庁でトップまで上り詰めていかれました)
私自身は、博士号による恩恵はまだ良く分かりませんが、博士論文で取り組んだテーマに限定すれば世界でもトップクラスの知見が得られた思っています。
博士号を取得する過程でも多くの先輩や先生方にもお世話になり、新しい人の繋がりも作ることが出来ました。このあたりが、自分にとっての一番の財産なのかなと感じています。
また、博士号は挑戦した人多くの人が『最終審査直前の時期は、人生で一番苦しかった時期』と言う程に、挑戦した人だけが知る厳しさがあります。それゆえ、博士号を取得している人はお互いを無条件でリスペクトしあうような文化があるように感じます。(私の周りだけかも知れないですが)
さて、、前置きがとてつもなく長くなりましたが、記事を書いていきたいと思います。
本記事は次のような人を対象としています。
本記事の対象
- 博士号の取得を考えている人
- 博士号の取得のための具体の行動が分からない人
- 博士号の取得の準備を進めている人
本記事の構成は以下のとおりです。
※ (4)~(11)では論文を書くための研究の課程は記載していません。
※ (7)~(11)では私の事例を紹介していますが、大学によって異なる可能性があります。
(1)テーマを探す
まずはテーマ設定です。大きくは次の2つの方法があります。
- 過去に従事した業務履歴から探す方法
- 現在進行形の業務から設定する方法
お勧めは2.です。
1.では博士論文に落とし込む際に、追加の検討がしたくなっても困難なことが多いですが、現在進行形の業務をテーマに設定すれば、追加検討は可能になるからです。
なお、この段階では、テーマはガチっと決める必要はありません。
実際には(3)で主査の先生が決まった後に、主査の先生と相談して決めることになるので、博士論文のテーマになりえるネタがあるか?という視点でテーマ探しをすることになります。
問題は博士論文のテーマになり得る業務にどうやったら関われるか?という点です。
いわゆる、定型業務の場合は中々難しいので、大きなプロジェクトにおける課題解決に資するような業務に巡り合った場合がチャンスになります。
特に外部有識者で構成される技術委員会が立ち上がるような課題はビッグチャンスです。技術委員会で取り扱うテーマは、博士論文のテーマになりえる可能性が高いと思います。
そういう意味では国家公務員や地方上級公務員などは、事業者として主体的にこういった検討会に関わる機会が相対的に多いので機会を得やすいといえます。(それでも一握りの運が良い人たちということになりますが。国家公務員の場合は周りを見ていてもその頻度は多い気がします。)
研究機関或いは企業内の研究部門に勤務されている場合は、仕事の中で研究に取り組まれているでしょうから、普段の業務の中から選択するということになるでしょう。
選んだテーマが博士論文まで昇華できるかは、「新規性」、「独創性」、「有益性」の3要素をクリアできそうかどうかで判断することになります。業務に取り組んでいる職場や周囲に、博士号を取得している上司等がいれば、まずはそういった人たちに相談してみましょう。
技術委員会が開かれるような場合は、委員の先生に相談するのが最良です。ちなみに私はこの方法でした。
このためには先生と懇意になる必要があるため、事前説明等に同行する若しくは説明役を引き受ける等のアクションが必要になります。
いずれにせよ、博士論文のテーマになりえる業務に関わる機会が得られたならば、業務への関わりだした初期から、『博士号取得へ繋げる』ことを頭の片隅で考えておくと良いです。そうすることで、機会ごとに必要なアクションを自然と選択できるようになるかと思います。
(補足)
ここ迄の記載について、「業務の中で博士論文となり得るテーマに出会えるのか?」という点については、かなり運が良くないと無理だなと感じています。
仮にテーマを持っていなくとも、課程博士であれば、面倒をみてくださる先生を探せれば、そこでテーマを与えて頂ける場合もあるかと思います。
ですので、今の手持ちの業務では博士論文を書くテーマはないのだが、挑戦をしたいという方は、(1)(2)を飛ばして、いきなり(3)から入ることで良いと思います。
(2)テーマに関連した成果を公表する
良いテーマに関わることが出来たらなら『課題を解決する』『何かしら新しいことをやる』という心構えで業務に取り組みましょう。
最初は微妙かと思っていたけれど、『業務に取り組んでいる内に、博士論文のテーマになる』という場合も往々にしてあります。
大事なことは『新しいことに取り組む』という姿勢です。博士論文は、どんな些細なことでも良いので、選択したテーマにおける最先端の研究成果を残す必要があります。
このため、新規性という点は特に心血を注ぐべきです。
そして、更に重要な点として、取り組んでいる間は、成果が未完成の状況であっても途中成果を公表しておくことが挙げられます。(実際、私は現場で博論に挑戦する話など全くない時期に公表した論文に救われています。)
仮にあなたが世界で初めて気づいたアイデアに取り組んでいたとしても公表が遅れ、他の誰かが類似のアイデアを公表してしまうと、あなたの論文の新規性は担保されません。
博士論文の審査では新規性を厳しく確認されるため、取り掛かりの部分でもとにかく最初に公表していることで研究の新規性が担保されるからです。
※ 審査機関によるかも知れませんが、少なくとも私の場合はそうでした。
途中成果の公表は学会の年次講演会等の査読無しの論文でも問題ありません。 そして、委員会資料、報告書、査読付論文、などの形で、その時点の成果を文書として取り纏めておきましょう。
(3)主査の先生を探す
人によっては、ここが最大の難関かもしれません。
大きく次の3つの方法があります。
- 母校の先生をお願いする
- 自分が関わった技術委員会の先生にお願いする
- 会社の上司等の知人の先生にお願いする
1.母校の先生をお願いする
1番多いパターンかも知れません。
メリットは実現し易いこと、気心が知れていること、相談し易いこと。
デメリット(?)として、多くのケースで課程博士を進められる可能性が高く、私学の場合は漏れなく過程博士扱いとなるため、お金と時間が必要になってくることです。
裏ルートとして、『研究者として大学に残った同級生や先輩が教授のポストまで上り詰めるのを待つ』という方法があります。この場合、国立大学であれば、論文博士という道もあり得る気がしますが、『その同級生や先輩と仲が良い』『その同級生や先輩の研究テーマと自分の研究テーマが一致する』ことが前提となるため、かなり人を選ぶでしょう。
2.自分が関わった技術委員会の先生にお願いする。
技術委員会に関われることがビッグチャンスと記載したのは、このステップに対して大きなアドバンテージが取れるからです。
委員会の中でテーマを全て説明しているので、1.で母校の先生に相談するより、ハードルは低いとさえ言えます。
委員会の実施期間中に、何かのタイミングで『博士論文として取り纏めることも考えているのですが可能でしょうか?』などと切り出して、反応が良ければ『先生の下で博士論文に取り組めないか?』と歩を進めることが出来ます。
成果が著しい委員会なら、向こうから声が掛かる場合も往々にしてあり得ます。場合によっては論文博士を推薦される場合もあります。論文博士は博士課程に入学しないので、過程博士と比べると負担は格段に下がります。(それでも、働きながらは大変ですが。)
3.会社の上司等の知人の先生にお願いする
上司等のコネクションを頼りに主査となる先生を紹介してもらう方法です。研究機関や企業の研究所等で勤務しているような場合はこのようなケースもあるようです。
メリットは調整が比較的楽なこと。
デメリットは紹介者のメンツを潰さないために、途中で何かしら問題が生じても引き返すことが難しいことや、紹介者に強い借りを作る、等の人間関係上のリスクになり得ることです。
(大多数のケースでは気にしなくていいと思います。)
(4)博士論文の構成を決める
博士論文の構成の決め方は大きく以下の2つです。
- 先に査読付論文3篇作成して、それらを博士論文の各章に書き換える。
- 先に博士論文を作成して、そこから査読付論文に書き換える。
どちらの方法でも良いと指導されましたが、1.の方が良いと思います。
というのも、査読によって論文内容に変更が生じる場合があり、2.では査読付論文が受理後に博士論文に大幅な修正が必要になる可能性があるからです。
私の場合、ザックリ各章の構成を考えた段階で主査の先生と相談し、概ね了解を頂いたのちに、査読付論文を書き上げて、アクセプトされた後に、査読付論文を博士論文に書き換えました。
(5)査読付論文を投稿する
ここについては、特にいうことはありません。。。
頑張ってアクセプトを目指しましょう。
(6)博士論文を執筆する
査読付き論文をベースに博士論文を書き上げることになります。
博士論文の場合は、紙幅の制約はないので、査読論文では泣く泣く落とした内容について紙幅を割くことができます。
博士論文は特許等の特殊な事情がない限りは公表対象となります。どこまで拘るかは、著者次第ですが、納得のいく論文に仕上げましょう。
(7)中間審査
博士論文の草案ができたら、主査の先生に提出して、修正意見をもらいます。この修正意見への対応を一通りおえると、論文審査申請を、、、と思うのですが、その前に二う関門があります。
審査機関となる大学院によるのかもしれませんが、東京大学では中間審査が開かれ、主査、副査の先生方に、論文内容を概説し、質疑応答を受けます。
時間は発表15分、質疑15分と非常にタイトです。
これで落とされるということは、基本ないのですが、この後、中間審査で説明を受けた副査の先生方と個別諮問があり、そこで、論文の内容について色々と議論を受けることとなります。これが、最大の試練となります。
(8)個別審査(副査面談)
中間審査後に、副査の先生方に、個別面談のかたちで審査を受けます。
副査の先生は博士論文の関連分野の中から選ばれ、私の場合は学外含めて4名の先生が副査について頂きました。
同じ分野の先生であっても、得意とする専門領域は異なっており、それぞれの専門領域から見た審査をしてもらうことになります。
審査機関によっては主査の先生の意向が強く通り易いこともあると聞いていますが、多くの大学の場合は、一人でも副査の先生が認めないということがあれば、不合格となるようです。
私の場合は、この個別審査が一番大変だった記憶があります。
審査時間は副査の先生によってことなりますが1.5時間~4時間と幅がありました。副査の先生からは納得がいかなければ複数回の審査をするというコメントを予め受けていたので、納得が得られなければ長丁場になると思います。
(9)中間審査での指摘への対応
中間審査と副査面談で受けた指摘の対応を行います。
査読付論文における査読意見への対応と同じように、主査、副査の先生ごとに指摘対応書を作成し、個別に説明を行いました。
全員の先生にご了解いただいたうえで、主査の先生へ指摘対応の完了報告をしました。
なお、これらの対応については、基本的にメールのやり取りでやらせてもらいました。
(10)論文審査の申請
中間審査対応が終わり、主査の先生に対応状況を説明して、ご了解が頂けると、正式に大学事務局へ論文審査の申請書類と論文を提出することになります。
なお、申請書類には、指導教官若しくは推薦教官として、准教授以上の署名欄があるため、主査の先生の了解なしに提出することはできません。
(個人が下調整なしに申請しても受理されないようになっている。)
ちなみに、審査料金は20万円弱で、課程に入学している方より10万円ほど高かったです。
(審査機関による。)
審査申請にあたっては、申請書の他、履歴書、目録、査読付論文、論文に共著者がいる場合には当該論文を博士論文に供することについての同意書、の提出が必要になります。
特に同意書については、本人のサインが必要になるので、早めの準備・調整が必要です。
また、論文の印刷物(冊子にしたもの)を5部提出する必要があり、この準備が意外と大変でした。
(11)最終審査(公聴会)
審査書類を提出後に最終審査会として、公聴会が開催され、博士論文として認められるか否かの審査結果が下されます。
とはいえ、ここまで到達するとお披露目会の様相もあり、当日、大勢の方が聴講に訪れてくれて嬉しかったのを覚えています
恐らくですが、申請のGoサインが出た段階で、余程のことがなければ不合格にはならないのではないかと思います。(公聴会の質疑応答でボロボロになるということがなければですが、、、)。
公聴会での発表時間は審査機関によって異なり、多くの大学院では1時間程度、短いところで30分程度と聞いています。
パワーポイントを準備し、審査1週間前までに主査、副査の先生方に送付します。
その後、質疑応答の対応資料を整理したり、発表練習を繰り返していると、あっという間に公聴会当日となります。
おわりに
本記事では「博士号取得を志したものの、どのように進めたら良いのかが分からない」という人を対象に、私と私の周囲の博士号取得者の経験を踏まえて、具体のアクションについてザックリとまとめてみました。
私や私の周りでは、職場での業務の中から博士論文のテーマを見つけた人が多かったので、今回のような構成になったのですが、(1)で書いたとおり、業務の中で博士論文までもっていくようなテーマにどの位の頻度で出会えるのか?という問題は大きいと思います。
ですので、仮にテーマを持っていなくとも、博士号を取りたいという強い情熱があるのであれば、実績はさておき、まずは面倒を見てくれる先生を探すところから始めるのが良いのかなと思います。
概要版と書いたのに、結構な長文になってしまいました。(すみません。)
それぞれのステップで今回は省略した情報も多数あるので、また時間があるときに個別記事も書いてみようと思います。
この記事が、社会人ドクターに挑戦しようか考えている人にとって、少しでも参考になったなら幸いです。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
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