博士号取得を目指したきっかけ

博士号取得

こんにちはニックです。

以前、「博士号取得への道(概要版)」という記事を書いたのですが、思っていたより大勢の方が興味をもって読んで下さいました。

そこで、記憶が風化しないうちに、自分の博士取得の経験について少し深堀した記事にして残してみようかと思いました。(不定期連載)

とりあえず、上記の記事の見出しになっていた以下の項目の詳細や、取得に至った経緯、取得までの費用、投じた時間、論文執筆時の注意事項、指導を受けた事項、などを綴ってみようかと思います。

<過去記事の見出し>
(1)テーマを探す
(2)テーマに関連した成果を公表する
(3)主査の先生を探す
(4)博士論文の構成を決める
(5)査読付論文を投稿する
(6)博士論文を執筆する
(7)中間審査
(8)個別審査(副査面談)
(9)中間審査での指摘への対応
(10)論文審査の申請
(11)最終審査(公聴会)

今回は、最初の記事ですが博士取得に取り組むことになった経緯を綴ってみようかと思います。

(1)幼い頃のあこがれ

「機会があるならば社会人ドクターに挑戦したい」という人は一握りではありますが、いらっしゃるかと思います。

アカデミアでない普通の勤め人(会社員や公務員)であれば、博士を持っている人の数は相当に少ない印象があります。私の所属する会社は土木事業を計画運営する法人としては、そこそこの規模のなのですが、博士号取得者はおそらく全体の1%未満、技術職に限定したとしても2%未満という状況です。

しかし、身近な上司や同僚に博士号を取得している人が何人かいると、『いつかは自分も』という思いを抱くことがあるかと思います。私もそんな技術者の一人でした。

そのほか、博士取得を思い立つような経験があるとすれば、幼い頃の経験が多少影響しているのかもしれません。

私の母方の叔父と叔母は、大学で物理学の教鞭をふるっており、小学生の頃、親戚で集まった時などにリニアモーターカーの原理や超電導の話などを面白おかしく教えてくれました。

そんな経験もあったからか、幼い頃は「博士」という響きに漠然とした憧れをもっており、小学校の文集に将来の職業に「博士」と書いていたように記憶しています。


(2)就職~研究機関への出向

しかし、学年が進むにつけて、学業の成績は徐々に振るわなくなり、幼いころの憧れは気が付けば消えてなくなっていました。

その後、大学、大学院と進学します。私の所属していた研究室では博士課程の先輩が3名ほどいらっしゃいましたが、そのうちの1人は、現象を学問的に理解する力が飛びぬけており、色々な課題をシンプルな形で定式化することが出来る人でした。

この先輩の姿を見て、「アカデミアの世界はこういう人が引っ張っていくんだな。自分は就職して実務者として働こう。」と決めました。

私のキャリアは現場勤務が中心だったのですが、入社8年目に国の研究機関に出向させてもらう機会がありました。

研究機関とはいえ全ての職員が博士を持っているわけではなく、寧ろ職員の大部分は学卒、院卒で働き始め、一部の人が社会人ドクターとして博士号を取得されているようでした。

ただ、室長クラス以上になるキャリア採用の人たちは博士号をもっている人が多く、大学の先生に転職される人もいらっしゃいました。

私は出向していた3年間で二人の室長にお世話になったのですが、お二人とも博士号をお持ちでした。

(3)先輩の影響

出向していた頃、年の近いプロパーの研究員の先輩(A先輩とします)が私の面倒を見てくれました。

出向2年目に、A先輩は博士号の取得を目指すことを宣言し、社会人ドクターとして大学の研究室へ通い始めました。

その1年後、私が最初の現場にいた頃に土質関係の材料設計のイロハを教えてくれた先輩(B先輩とします)が、社会人ドクターとしての生活をスタートしました。

『なるほど、、、社会人ドクターという方法もあるんだなあ。』と当時は思ったのですが、当時の自分では、博士論文を書くネタもなく、今後の業務の中でそんなネタにぶつかることがあれば取り組むのも良いかもしれないくらいに感じていました。


(4)技術委員会での出会い

出向元の会社に戻ってしばらくして、大きな現場に行くことになりました。

私の勤める会社ではプロジェクトごとに、何らかの技術的テーマに対する技術委員会を開催して新しい技術に取り組むという慣習がありました。

私の役職はプロジェクトの中でもメインの構造物となるダム本体の施工担当部室の筆頭係長という立場で、設計担当部室と一緒に技術委員会の対応も担当していました。

技術委員会のテーマは主に品質管理の高度化、合理化に関する内容でした。その分野では第一線の先生方(アカデミアだけでなく、実務家を含む)で外部委員会は構成され、最新の技術知見を導入するための議論を繰り返しました。

この委員会における、議題設定、必要な現場試験等の計画立案、試験結果の整理、説明資料作成、説明答弁を私が総括していました。

あるとき、委員の先生から次のようなお誘いを受けました。

「ニックさん、この技術委員会での取組について、博士論文としてまとめてみませんか。本件はとても先鋭的な取組でこのままにするのは勿体ない。詳細を委員会資料ではなく誰でも見ることができる論文として公表するべきだと考えています。」

これが私の博士を目指すことになるきっかけでした。

(5)主査の先生を紹介してもらう

お声がかかった当時は、工事最盛期であり、工事を担当しながら博論を書くというのは難しい状況でしたので「工事が落ち着いて時期をみながら」ということで一旦、間を置くことになります。

その後、工事の最盛期が抜けたころに、先生と博士論文の進め方について再度相談しました。

その先生は東京大学で定年を迎えたのち某有名私大の教授をされていましたが、東京大学の名誉教授も兼任しており「どうせ博士を取るなら東大の方が良いでしょう」ということで、東大の研究室を紹介してもらえることになりました。

博士課程に通うことになると、時間的にも金銭的にも非常に厳しいのだが、大丈夫だろうか?という点が一番不安だったため、そのことを相談しました。すると

「今回の場合、内容がしっかりしているし、実績もあるから論文博士で問題ありません。」

ということで、論文博士で審査をしてもらえることになりました。これは大変ありがたいお話でした。

~補足~

論文博士とは、大学院には通わず、博士論文として作成した論文が研究機関の審査に合格すれば、博士の学位を授与してもらえるというもので、日本独自の制度です。

諸外国にはこういった制度はなく、また大学としても学費が入らないため大学運営上のメリットは薄いということもあり、近年は制度としては存在するが実際に論文博士を受け入れることは極めて稀(特に私大では難しい)と聞いていました。

先生が言うには、東京大学では、今でも土木だけでも年に1~2本は論文博士で学位を授与されているとのことでした。

このあたりは、別記事でもう少し細かく記載しようかと思います。


まとめ

本記事では、博士取得に取り組むことになった経緯、について綴ってみました。

今後は、論文博士の制度とか、過程博士との違い、難易度、実際の評価のポイント、提出資料、などについて細かい情報を綴ってみようかと思います。(不定期)

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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